メニュー
筆談援助の会ネットワーク
活動内容
研修のご案内
エピソード
ブログ
関連書籍
リンク



身体のやりとりを入り口に会話する(2022.07.19 掲載)new
202X年9月「放課後等デイサービスの職員Aさんとの別れ」(2022.07.19 掲載)new
201X年4月「中学生になった感想は?」(2022.07.19 掲載)new
〜療育帰りの車中で〜(202X年冬)(2022.07.14 掲載)new
『まん延防止措置中の検温の話』(2021年夏)(2022.03.30 掲載)
『筆談へのラブレター』 (2022.03.23 掲載)
2022年2月 オミクロンに感染して (2022.03.22 掲載)
本当にしたいことができる応援 (2022.03.02 掲載)
2021年12月「筆談援助者勉強会」参加者の感想(2022.03.02 掲載)


身体のやりとりを入り口に会話する new

間 紗由子

『プロフィール』
 筆談と抱っこ法を主軸とした心のケアを長い間やってきました。
 個別の子育て相談や施設に出向き職員の方と協力して心のケアをしています。出会う人たちが、自分と出会い自分を取り戻して輝く姿を見たり、その中からいろいろなことを教えてもらい、新しいことを見つけたり可能性が広がる日々が好きです。

******************************

 生活支援施設内でやっている心のケアの場にI 職員とNさんがやってきました。Nさんは単語や簡単な意思疎通はありますが、自分の気持ちを伝えることはできず、時々、つねったり、大きな声を上げたりしてしまうことがありました。I職員は、他の利用者さんと心のケアに来たことはありましたが、Nさんとは、今年度初めて担当になり、Nさんの心のケアにI 職員も参加することになりました。NさんとI職員は、一緒に心のケアに来たときから筆談の練習を始めました。今回のできごとは、練習2回目のときのことです。
 この日はI職員から日常の様子を聞いた後、筆談をすることになりました。そのとき、I職員から「前回の練習のときは書く手伝いができた気がしたので、生活の中でNさんと簡単な質問を○?を使って会話しようとやってみたけど、全くできなかった」と言われました。私は、I職員が生活の中に取り入れようと努力してくれているのだとわかり嬉しく思った反面、できなかったと聞いて残念に思いました。
 そこで最初は私が筆談援助することになりました。しかし、いつものようには行かず、Nさんは身体を前後に揺らすだけで、手の動きがわかりませんでした。字を書いて表現すると思っていましたので、揺れる動きのせいで、手の動きが分からないと感じていました。でも、身体ごと揺れるリズムや小さな息遣いも、彼女にとっては大事な表現でした。手先ばかりに集中して視野が狭くなっていたようです。「そうか、難しいことは考えず、彼女を信じて、声や文字にならない小さな声も大切にしていけばいいんだ」と気が付き、彼女の揺れるリズムを一緒に楽しむことにしました。このまま私との筆談を続けるよりも実際の練習の中で、「彼女を信じて、声や文字にならない小さな声も大切にしていけばいい」ということをI 職員に伝えたいと思いました。
 筆談の練習が始まり、Nさんはさっきと同じように、身体が前後に揺れ出し始めましたが、書く手伝いをすることに集中しているI職員は、Nさんが表現しているおしゃべりに気が付いていませんでした。ですので、添えている手はそのままに、書くことに気を取られないよう、鉛筆を置いて、身体の前後の揺れと一緒にいてもらいました。次に肘が机に置かれて動きづらそうなことが外から見てわかりしたので、「肘も机に付かないように支えてあげてください」と I職員に伝えました。これで、ふたりにあった心の引っかかりと、動きの引っかかりの両方が緩み、筆談に向かう準備が整いました。後は、ふたりの様子を見守りました。
 Nさんも初めは小さな揺れでしたが、少しずつ、まるで声のボリュームが上がっていくようにゆっくり大きく揺れたり、また小さな揺れに戻ったりと、揺れ方もいろいろ変化していきました。それは何かを話しているようにも見えました。Nさんから伝わってくるいろいろな揺れとともに、二人は会話をしているようでした。
 しばらくその時間を味わい、そろそろ鉛筆でも一緒に書いていけるかなと思ったところで、鉛筆を持ってもらいました。すると、さっきとは違って二人とも楽な様子で気持ちよく、自由な線を書き始めました。今度はとても楽しそうでした。


202X年9月「放課後等デイサービスの職員Aさんとの別れ」 new

K君は、Aさんの娘Bさんと小学校で一緒のクラス。AさんはK君の通っているディサービスの職員で、社内部署異動があった。その時の療育での筆談。

****************************************

Aさんのことが いいたい
Kくん
(僕)は ちいさいときから (Aさんを)ずっとしっています
だから中学校にいってからも Bちゃんのママとして デイサービスのスタッフとして それだけではなく いつもぼくのママのたすけびととして いっしょにいました
だからさびしすぎです
このまえAさんとはなしして やっぱりやさしいひとだと おもいました
Kくんがすきよっていってくれて ほんとにうれしかった
さびしいきもちをわかってくれて いっしよにさびしいなといってくれた
でもAさんには つぎのだいじなおしごとがある
Kくんとおわかれするのとちがうよって いってくれた
Kくんのことずっとみててるからねって いってくれた
Kくん
(僕)はさびしいだけじゃなくて にっこりわらって バイバイしようとおもっています
(デイサービスの)しょくいんさんは みんなやさしいから Kくんのことだいじにしてくれるよっていってくれた
Kくんは いいきもちで いいかんじで いいじかんをすごせるよ だいじょうぶ
いつでもAがいくからねって いってくれたから あんしんした
Kくんも もう中学校をそつぎょうしたら 高校生になるから いろんなひとと たのしくやっていける
ようになるよ
(っていってくれた)
ありがとうを いっぱいいいたいです。



201X年4月「中学生になった感想は?」 new

地域の小学校支援級より、特別支援学校中学部に入学したKくん。
この日は、入学式を終えてから療育に来室した。筆談を学ぶためにMさんが見学に来ていた。

*******************************************

七野:「学校はどうでしたか?」
K:ゆっくりしたかったのに いまはちょっとつかれてる
せんせいのはなし(の内容)は かんたんでも ながくて いやなきもちです。

七野:どんな内容だったの?
K:おめでとう よくきたね なかよくしましょう がんばりましょう
おかあさんおとうさんにかんしゃしましょう そしてげんきに まいにち がっこうにきてください いじょう


七野:じっとしてたの? いやな気持ちだったのは、大丈夫なの?
K:だいじょうぶ ちゅうがくせいは いつでもれいせいでいたほうがいい
ままは
(Kが)しずかなほうが すきだもんね

七野:今日から、筆談の勉強をしに、Mさんがきました。
(ここで初参加のMさんを紹介し、K君の質問が始まった)

K:せんせい(Mさん)は なぜひつだんをしたいのですか?
こども(Mさんのこどもに筆談をしたいから)ですか?
M:「いいえ」

K:がっこうのせんせいですか?
M:「いいえどちらも違います」と答えると

K:なぜべんきょうしたいのですか?
M:「私は足が悪くなって、仕事に出て行くことが出来なくなったけれど、筆談することで社会の役に立つかと思って、勉強しにきました。今は、主婦です。」

K:ままとおなじで しょくじをつくりましたか?
M:はい。
K:なにがとくいですか?
M:煮物です。
K:にものはなんですか?
M:筑前煮です。
K:おやさいはきらいですか?!? あじつけはこいですか?
M:薄味です。(「まるで、お見合いのよう?!」と思いながら、筆談で会話を続ける)
K:うすあじがからだにいいとおもいます。

M:K君は何が好きですか?
K:おにくです(母、七野笑う)
M:おやさいは?
K:たべません! せんせいのこどもは おとこですかおんなですか?
M:男の子が二人です。もう大人ですけど。

この後、K君は自分のことを話し出す。
K:Kはおとなになるために ちゅうがっこうをえらびました
べんきょうは ちょっといまのなかま(地域の小学校の生徒)といっしょだと ムヅカシイになって きっとかなしくなるので もっとていねいにKのできることを ひとつひとつしてくれる しえんがっこうにしました。
だから いままでよりもかんたんに できてしまうようなきがしています。
でもそれは Kにとっては だいじなことだとおもうのです。
いつもできなくて しんどいおもいをしていたので やっぱりできることがあるほうがいいと おもうのです。だから中がっこうは いつもげんきに かっこよくできるKになりたいです。
いまのきもちはふくざつです


一息ついて、Mさんへの質問が続く

K:ちかくにすんでいますか?
M:車で20分くらいです。
K:せんせい(Mさん)はずっときてくれますか?
M:来ようと思っています。
K:Kはもっといろんなひとが ひつだんしてくれたらいいのになぁって おもうんですけど、またきてくださいね

*******************************************

 初顔合わせでお互いに緊張していたのか、丁寧語での会話になっている。
 休憩になり、Mさんは七野に「丁寧語とため口を(筆談で)使い分けるんですね」と話した。Kはすでに中学生としての社会性を身につけているんだ、ということが筆談をしてわかった。
 「筆談を勉強しに来た」という目的を持った人にKはとても興味を示し、普段と違って矢継ぎ早に質問をしていた。実習生や学校の先生、デイサービスのスタッフ以外に療育に来てくれる人がいるということに、大変驚いた表情をしていたのを、母は気付いていた。
 この出会いは、Kの世界が広がるきっかけになっていく。


〜療育帰りの車中で〜(202X年冬) new

 サポーターMさんを乗せた車中で、指談をしたがっていたKくん(人差し指を、書いてほしい人の手の近くに持っていく)。信号が赤になったとき「なに?」と兄さんが尋ねた。
Mさんと(療育の時)お絵かきがしたかった!
Mさん、すかさず返事をする。
「なんで?(以前、Mさんは絵を描くのが苦手と話していたことがある) お絵かきじゃなくて筆談のまちがいじゃない? だって私は絵を描くのが苦手って言っていたじゃない!」
しってる! ゆうてみただけ
車の中は爆笑!
この時Mさんは、「Kくんは大人をいじったの!?」って感じた。Mさんがサポーターとして療育に関わるようになって二年位たっていた。「こんな事がすでに数回あったな〜!!」と思い起こされる。


『まん延防止措置中の検温の話』(2021年夏)

Kくん
特別支援学校の高等部に在中。
幼児期に自閉症と診断されて、学校以外にも療育に通っている。
発語はないけれど、筆談(指談)を駆使して、家族や理解者とやりとりしている。

※報告者:七野友子

*******************************

「学校で体温は計っているの?」という話になった時、お母さんがKくんは元々体温が高めだと話す。
Kくんが筆談で《kはたいおんがたかい》と書く。
その時検温すると、37.0度だった。
たいおんはなんでたかいの? (Kは)たいおんがたかいと(先生に)いわれる
《KはみんなよりたいおんがたかいといわれるKはたかくてもいいの?》と次々と書く。

体温は人それぞれ違っている。平熱は36度から37度位だと説明する。
だから、K君は平熱の範囲だから大丈夫と伝える。
ここでわかった事は「K君の体温が人より高めだから、先生に非難されている」と思っていた節がある!?
《あんしんしました。Kはたかいのがだめとおもっていた》
《よかった いつも言われて 良いのかわからなかった。ねつがあるとコロナになってるとおもっていたから》

「何度も言われて、どうだったの?」と聞くと
《しんどかった。せんせいがいつもゆうてくる》
《がっこうでいつもいわれて いやなきぶんになる せんせいは いつもいうから しんばいしてた》

「大丈夫、コロナになっていないよ!」とその場にいた人が、口々に話した。
《あんしんしていいの!!》

先生の何気ない言葉が、質問や反論できないK君には、不安な事としてひびくのだと改めて知った出来事だった。


『筆談へのラブレター』

綱嶋 尚至(つなしま しょうじ)

〈プロフィール〉
 知的障害者入所更生施設7年・障害児者デイサービス6年
 障害児者居宅介護3年・障害児者相談支援10年・障害者共同生活援助1年
 2022年5月〜グループホームを立ち上げる。

*************************

 出会いは10年前。ある障害者通所施設に見学に行ったときに教えてもらいました。その施設では【心のケア】を取り入れることで、食事場面では食器が空中を飛び交っていたのが、皆落ち着いて席に座って食べることができるようになり、今では【心のケア】を受ける順番がくることを利用者が待ち望んでいるとのことでした。
 後日、施設長さんから【心のケア】研修の案内を受け取り、実際に参加することになりました。研修では身体障害のある方が来てくれていました。そして3名でその方の両手両足を支え、セッションが始まりました。そのあと「筆談」で自分の想いを、引率で来てくれていた施設のスタッフに伝えていました。その時私は「これはありえへん」と疑いの目を持っていました。援助者が書かせているようにしか私には見えなかったのです。
 数年後、【筆談研修】の案内が目に留まり半信半疑ながら参加することに。そこで筆談で交わされる知的障害当事者同士の会話を目にして、これは「本物」だ、と理解しました。
 その時の衝撃は、これまでの障害者支援20年間の自分の傲慢さを、関わってきた利用者全てに本気で謝罪せねばならない、と思ったほどでした。福祉の仕事をする上で「人権の尊重、障害があってもなくても人として尊重されなければならない」という大きな概念は持っていたつもりでしたが、どこかに「言ってもわからんやろうな」という気持ちがあったことは否めません。それが私の傲慢さでした。
 この時から、自分が【心のケア】の研修を通して彼ら(話すことができない人)の筆談を支える技術を身につけ、多くの支援者に筆談に対する考え方と手法を伝えていくことが、自分の使命であると信じて歩むことになりました。そうすることが、今まで傲慢に関わってきた彼らへできる償いと勝手に思っています。


2022年2月 オミクロンに感染して new

※30代 自閉症 TMさん。
小さい時から文字が大好きで、辞書やことわざ辞典をよく読んでいる。
音声でのやりとりもするけれど、気持ちを「川柳や短歌」で表し、母親や筆談支援者と心をつないでいる。 今回、コロナオミクロンへの感染後、心のケアセッションで溢れる気持ちを伝えてくださった。()内は支援者七野加筆。

例えば僕はコロナになってしまったって知らなかったんだ。
ところが熱が出ていつもと違う感じがした。
発作の時はもっと突然で、あっという間に体がリズムよく動いて止まらないけど、この度はイラってするまもなく体が熱くなってきた。
後は検査待ち、それも嫌だった。
だってもう熱が出てるんだから、早く薬で治してほしい。
痛いことはないけど、すぐ疲れて息が上がるってやつです。

(「よく昼寝していた」という母の言葉を受けて)
昼寝というより、寝てたいって感じ。一番言いたいのはお母さんに謝りたい 。
Mがコロナになったのに

(いいにくそうな感じで話題を変え、突然得意の川柳が始まる)
金庫に入っても 逃げ出してくる オミクロン
はいっていっても 逃げ出してくる オミクロン

(気持ちを立て直して、本当に言いたい事を書こうとする)
言いたいのは母さんに謝りたい
イラつくぜ いつまでいるのか オミクロン
しんどい思いをさせてしまいました。Mの世話と自分のオミクロンと二つもあって、熱もあって大変だったです。早く治ってほしいと、ご祈祷をしているって(テレビで)見てたからMもお祈りしたよ。でも母さんは大変でした。神様や仏様は、もっとちゃんと仕事してほしい。Mの家では二人ともオミクロンになりました。誰も助けてくれなかったら新鮮な野菜も食べられません。手伝ってくれる人 Hさんがいてくれて、よかった。遠くの親戚より近くの友人(Mは、ことわざをよく知っている)。
僕はいつも助けられて、助けられていて、迷惑かと思うことがある。今回は母さんも大変だったから、(Hさんが手伝ってくれて)助かったと思ってる 。
(今回オミクロンでお休みもあって「どんな思いがありましたか?」の質問に、少し考えてから書きはじめました。彼は、いくつかの思いを綴りたい時は、数字を書いてすすめます。5でいったん書き終えたようでしたが、6は、4での土の中にいるオミクロンの話しに付け加えたい事が出たのだと思います。数字は彼にとって、頭の中にあるいろいろな事柄をまとめるのに良い方法のようです。)
  1. 病気はどの人にとっても嫌だ。だから早くなくなってマスクのいらない毎日にしたい。

  2. 熱が早く早く、一回で下がる薬が欲しかった。母さんはずっとしんどそうで、薬が効いてないと思った。良い薬が欲しい。

  3. 疲れた。

  4. 僕がオミクロンだったら土の中で寝てることにする。

  5. 終わり

  6. オミクロンは人の体で増えてるから、土の中にいたら静かに暮らせて、人もオミクロンも平和。

(「金庫、金庫書く」と言って金庫の絵を書く。中に何が入っているか質問すると3つのコロナウィルスを書く)
どんな立派な金庫でも、オミクロンは逃げていく。


人の中で増え続けて、人と人とがソーシャルディスタンスで寂しいよ。僕はいつも人の支えがいるから、オミクロンが喜んで入ってきたのかな。母さんにうつしてしまって、申し訳ない気持ちです。七野先生はなるのですか?

(「今はなってないけど、気をつけても誰もがなるよ」に)
みななって 元気になって あーよかった
薬だけ 早く出てこい 大成功
ワクチンは 何回打っても やっぱなる
人類の 力を出して 健康に

(Mは以前からいろいろな場面で「あきらめる」と言うことがあるが、今回は自ら「あきらめない!!」と発言)
大好きな じいちゃんばあちゃん 助けるぞ
僕だって 熱はしんどい オミクロン
誰だって 長生きしたい 健康で

(「祈った !」と言い)
祈りの火 ホントに届け 病気の人に
挨拶は 検査しました 陰性です
陽性者 今は駄目です 陽性じゃ
ワクチンと コロナの喧嘩 どっち勝つ 勝っても負けても 健康第一
「人の世に 健康がある 幸せがある」
A(ショートスティ)も S(通所事業所)も行けて 幸せだ

(沢山の家の絵を書いて)
幸せの灯 コロナバイバイ 家族の団欒


僕たちは コロナの経験 活かしてく 世の中の病気が 少なくなるように
ありがとう しんどい時の 癒しの言葉
(ノートの最後に力強く大きな文字で)
母さんに 長生きしてね 健康で

(ノートを閉じて、スッキリした表情で相談の時間を終えた。)


本当にしたいことができる応援
 −マスクは嫌かもしれないけれど、今はして帰ろう!−


 自閉症のNさんは施設で暮らしています。彼はお母さんと一緒に月1回、心のケアのセッションに通っていますが、コロナでセッションもずっとお休みでした。
 やっと解禁となり、久しぶりにお会いしました。

 Nさんはマスクが苦手です。電車の中でもマスクをしてくれなくて、お母さんは困ったようでした。
 彼は部屋に入るなり、自分のマスクをお母さんの手提げ袋につっこみ、お母さんがしているマスクも奪って、袋にねじりこみます。お母さんは愛情深く、とても彼を可愛がってきました。Nさんは少し多動なところはありますが他害もせず、普段は我慢強いおとなしい人です。なので、お母さんが彼から困らせられることもなく、今までNさんの動きを止めるようなことはしていませんでした。

 私は彼に対して、コロナで会えなかったことなどの大変さをねぎらい、落ち着いた頃合いをみて「マスクをしたほうがいい」という話題を向けてみました。「Nさんはお母さんを困らせたくないけれど、マスクを見ると、どうにもしまいたくなってしまう自分を止められない。そこには助けがいる」ということを棒とぐちゃぐちゃの図を描いて、お母さんとNさんに説明しました。

 本当は「お母さんを困らせないしっかりした自分でいたいという思い(心棒)」があっても、受け入れがたい現実に「嫌だ!」とか、「嫌なことはないことにしたい」という気持ち(ぐちゃぐちゃ)も同時におきてきます。
 Nさんは「嫌な目にあった時は、それをないことにする」ことでこれまで自分を落ち着かせてきたので、嫌なことは目の前からなくすことに懸命になるのかなと思うのです。ですから、ぐちゃぐちゃの気持ちが棒を覆い隠したとき、彼の行動は「マスクを見えないところ(袋)に突っ込む」ことになってしまいます。マスクが見えなくなれば、平気になります。それが悪い方法だというつもりはありません。
 時にはそうすることもいいけれど、今回のように避けて通れないこともあります。Nさんは嫌でも、彼がマスクをしないと、お母さんは一緒に出掛けたりする時に困ります。
 そこで私は、「マスクをしない」という行動を、学びのチャンスと考えました。「このことを乗り越えることで、マスクだけでなく、Nさん自身が、自分の本当にやりたい行動ができるようになる応援をしよう!」とお母さんに話して納得してもらいました。Nさんからは筆談で、マスクの練習をすることに同意をもらいました。

**********************************************

 お母さんに手提げからマスクを取り出して、「マスクをしよう」と誘ってもらうよう頼みました。Nさんはマスクを見ると、かなりすごい力で奪って袋に入れようとするので、私はNさんの両手を保持しました。説明不足で、お母さんが無理にでもマスクをさせようと頑張り出したので、中断して、「マスクしようね...」と話しかけながら、ゆっくり口に近づけてくれるようにお願いしました。「ゆっくり近づけることで、Nさんの『マスクは嫌だ』という気持ちが出てくるので、その気持ちをちゃんと聞いて、本人が『わかった』と納得して自分でマスクをする気になってもらおう」と説明してスタートしました。
 お母さんがマスクをゆっくり顔に近づけると、Nさんの両手に力が入ります。彼の「嫌だ」という気持ちが手に表現され、触れている私の手によく伝わってきました。そのままの状態で少しつきあってから、お母さんにはマスクを遠ざけてもらいました。
 マスクを遠ざけると力が抜けるので、私はまず「嫌だ」という気持ちを聴くことにフォーカスしてみようと考えました。

A:Nさんの「嫌だ」という気持ちはどこにあるの?
N:手を胸のあたりに置く
A:(Nさんの手に私の手を重ねて)ここに、Nさん自身が『嫌だね!』と
 言葉をかけてあげられるかな?
A:(Nさんが自分の気持ちに言っているのを応援するつもりで何回も)
 嫌だね! 嫌だね!......

 Nさんはその間全く声を出さずに静かにしていました。私は「気持ちを味わえているなあ」と感じましたが、筆談でも確認してみました。Nさんは短く「いやだね、といえた」と書いてくれました。そこで 再度、マスクをする練習に戻りました。お母さんにゆっくりマスクを近づけてもらいましたが、まだ抵抗する力が入るので「お母さんとマスクして旅行に行くのと、マスクしないで旅行に行けないのとどっちにする?」と迫ってみました。お母さんも「マスクすれば一緒に旅行にいけるよ!」と応援してくれました。
 次にマスクをテーブルに置き、Nさんの両手を支えてマスクのゴムを一緒に持ち、顔のところまで持っていくという動作をしてみました。途中で時々抵抗する力が少し入りました。私はその都度その力を保持して緩むのを待ち、彼がまた動き出したらついていくということを繰り返しました。
 マスクが口のところまでいくと、Nさんは自分でゴムを耳にかけました。お母さんはびっくり! 初めに「5秒だけね」と約束したので、5秒で外してもらいました。この後、かけている時間を少しずつ延ばしながら、さらに2回繰り返しました。

**********************************************

 こうやって、自分の気持ちも大事にしながら「本当にしたい行動ができるように練習していこう」と伝えて終わりにしました。
 Nさんは正座でしっかり挨拶をして、「電車に乗るからマスクするよ」と声をかけるとすんなりマスクをしてくれました。帰路にどこまで頑張れたか、まだお母さんには聞いていません。途中でとってしまったかもしれませんが、こうやって少しずつ練習できたらいいと思っています。
 子どもやハンディのある人たちには、本人の表面的なやりたい、もしくは、やりたくない、という行動の通りにやらせてあげることだけでは助けが足りないのです。「ぐちゃぐちゃ」な気持ちに「心棒」が負けてしまう場合は、「嫌だ」という気持ちをしっかり聞いてあげつつ、手を添えて心棒の応援をするのが役に立つなあと、あらためてこのようなやりとりの大事さを実感しました。


2021年12月「筆談援助者勉強会」参加者の感想

 あれから1ヶ月が経ち、息子Tの中の小さな変化を感じています。息子の手紙の補足も兼ねて、遅ればせながら勉強会の感想をお伝えします。長文になりますがご容赦下さい。
 自分自身と環境の目まぐるしい変化に翻弄されながら、この2年間、息子は自分と向き合おうと必死で葛藤し、限界を感じていました。そんな中「何か違った世界に触れさせてやる事ができないか」という思いで先日の会に参加させていただきました。
 身近に自分を理解してくれる存在を得られず、特に担任の先生への信頼度が絶望的(苦笑)で、毎日孤独を感じていたようですが、大阪では筆談の介助に心を寄せてくれる方たち、筆談を使って内なる思いを出す方たちの存在を知り、息子は大きな衝撃を受けたようです。私にとってもユーザー様、お一人お一人との筆談で、それぞれの個性に触れ「人を知る」と同時に「人と融合する」感覚が興味深いものでした。

 ヨウスケさん(※中川洋輔さん30代半ば、ブログあり)の的確な洞察と指摘、驚きました。「私も子供の頃に勉強がしたかった」のお言葉に、息子は「僕と同じ思いの人がいるなんて、泣きそう。そして、お仕事もして、あんなふうに指で筆談して、すごい!」とヨウスケさんのお人柄にすっかり魅了されたようです。
 成人のTTさんに息子Tは、「時計の勉強、とっくにわかっているのに伝えられずに教え続けられたの、本当にキツイよね」と共感。息子に平仮名を教え始めた時は、身につく前にあっという間に飽きてしまったように私は感じていたのですが、あれは息子の中ではとっくに習得し終わっていて、表現が追いついていなかっただけなのだと、今では理解できます。
 私にとって最も印象深いのは、リズムさん(※20代半ば)との筆談でした。鉛筆を動かす力は強くないけれど、面白い事をキャッチするアンテナがとても強いリズムさん。初見で自己紹介での私の好きな言葉を「おいしい」と告げた瞬間の、リズムさんの渾身のツッコミのようなおどけた眼差しと間合い。2回目の筆談の時には、3枚の中からリズムさんが選んだカードには「おいしい」のワードが入っていて、「もしかして、さっき私が言った好きな言葉『おいしい』を覚えていてくれたの?」と聞いた瞬間、また同じ眼差しを返してくださり、笑顔で満たされました。そんなリズムさんのご家族(※この日は、お母さんとキュートな大学生妹の真鈴さんが参加)の暖かさもとても心に残りました。

 これは私が息子と筆談を重ねて感じることですが、筆談は介助する・される事による単なる情報伝達手段でなく、命と命が共鳴しあい起こる瞬間の化学反応のような現象ではないでしょうか。生物はそうしたパワーを巧みに利用し、進化・生存してきたのでしょう。今日でも野生動物たちは言語を介さず綿密な狩や、群れでのルール、子育てのノウハウを厳しい自然の中で脈々と伝え命を繋いでいます。彼らにとってこうした伝達は生理現象のようにごく自然な営みでも、物理的なコミュニケーション手段を得た現代人には、失われた能力なのかもしれません。
 私自身は、スピリチュアルとか信仰とかは笑ってしまうほど縁遠い存在なのですが、息子と筆談を始めて以来、理屈では説明のつかない現象が度々起こります。最初は不思議を通り越して、気味悪さを覚えましたが、筆談は命の共鳴であり、量子力学的な現象なのだと解釈すると、ごく当たり前の日常として受け止められるようになりました。この現象は『量子もつれ・絡合(らくごう)・エンタングルメント』といい、アインシュタインも「不気味な遠隔作用」と言い放ったそうです。

 筆談をきっかけに、我が家では家族一人一人の在り方、関係性が大きく変わった一方、息子と社会とのミスマッチはどんどん広がっています。そこを無理に埋め合わせようとすると、軋轢になりかねず、なかなか踏み込めずにいますが、息子の尊厳を守るためにも周囲に一定の理解を得る事は不可欠で、いつも悩みながら押し引きをしています。皆様との出会いはそんなモヤの中の一隅を照らす光でした。
 最近の息子の変化といえば、自分で考え、単独で文字を書く事へのチャレンジです。介助を得ての筆談は息子が最も繊細に気持ちを表出できる優れた手段ですが、元々他力本願で依存度の高い息子の場合、それだけに頼っては自力で何かを伝えるチャンスをとらえづらくなります。今までは文字盤での「ポインティング」をその手段として取り組んで来ましたが、次のステップとして、辛かった自分の経験をバネに、自ら書く事へのチャレンジに意欲を見せています。
 日本の学校では支援学級においても、読み書きが学習の基本で、合理的配慮をもってもそのスタイルを崩すのは困難です。単身で書かない事には学習の質が向上しないのです。これは努力だけでなく相当の覚悟も必要で、私も腹をすえて付き合う決意でいます。
 変化をし続ける息子に、振り落とされないよう必死で着いていく近頃の母なのでした。
 この冬は寒さがいささか厳しいようです。どうかお身体をお大事に。また皆様にお会いできる機会を楽しみにしております。

※中川洋輔氏ブログ
 https://yuutaraakan0324.blogspot.com/2019/04/blog-post_14.html?m=1


Since 2010 Hitsudan Enjo no Kai Website.
All rights reserved.